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東日本大震災被災地巡礼 [災害派遣]

2011.8.1(月)

7/29(金)・30(土)にかけて、東日本大震災の被災地をいくつか回って来ました。
前回は4月上旬に個人的に物資を運搬しに行きましたが、今回は巡礼で団体行動です。3カ所で鎮魂のための法要を行い、それに参加してきました。

いろいろな思いがあって、前回の事はしっかりと書き残しておこうと当初考えたもの、現地では写真を撮る気がまったく起きず、帰って来てからもここにはほんのさわりを書いただけで止めてしまいました。
その時に訪れたのは、東北道・一関IC経由で気仙沼から被災地周り、南三陸(内陸側を通過、役場のある方へは道路事情などの問題で回れず)、石巻、牡鹿半島をほぼ全周、女川を回ってから一旦郡山まで戻って宿泊。翌日は三春や原発避難エリアの外周をまわるようにして、いわき四倉へ入り、小名浜を経由して北茨城あたりまで海沿いに南下してタイムアップという感じでした。

今回、どこを回るかということに関しては私自身は全く関与していなかったのですが、たまたま偶然なのか、いわき四倉、石巻、南三陸をまわり、一関で宿泊、翌日は一関で巡礼を終えて最後に平泉の中尊寺へ参詣して終了ということになりました。
3ヶ月半以上振りに訪れたことになりますが、それぞれの場所でいろいろな思いを抱くことになりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・

私が自分でできることは本当に限られたことでしかありませんが、被災地を直接訪れることは意味があると思っています。震災、そして津波で犠牲になられた方の御霊の鎮魂を祈らせていただきました。

ゆっくりと着実に復興が進んでいくことを合わせて祈る次第です。

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東北・南関東へ救援物資を輸送してきました(2.気仙沼) [災害派遣]

2011.4.14(木)

東北・南関東へ救援物資を個人で輸送してきました。(続き)
ご興味のある方のみお読み下さい。よろしくお願いします。

4/9(土)午前中に気仙沼入りして、駅前の観光案内所で話を聞いたところまでは、ひとつ前で書きました。
壁に掲示されていたのはこんな感じです。
「気仙沼市から各避難所・市民の皆様へお知らせ」というものです。
DSC02932.jpg

避難所リストのコピーを頂いた際の裏紙が4月6日(水)配布のものでした。
そこに書かれていた、
【被害状況(4月5日現在)】によると、
・死者数:678人、行方不明者:1,521人
 ※遺体の安置所は下記のとおりです。関係者における安置所までの移動など
  については各自の対応になります。
 [気仙沼地域]新城小、白山小、階上小、面瀬小、大島公民館
 [唐桑地域]唐桑体育館 [本吉地域]本吉響高校
・避難所数:80か所(一覧は別紙をご覧下さい)
・避難者数:10,020人
 ※現在、市内で大規模な火災は発生しておりません。
・・・(以下略)

観光案内所のおばさんが、観光マップにマーカーで書き込んでくれたもの。
海岸線にピンクのマーカーが引かれているのが、津波で大きな被害がでた地域とのこと。
kesennuma.jpg

その時点で、大島へは船の行き来が再開したそうです。
気仙沼市街からは少し離れた唐桑半島の方や大島が比較的、物資が不足しているのではないか、という話も聞きました。
しかし、大島への船はそこの住民の行き来が優先されるでしょうからパス。唐桑半島も車で行けるかどうか(その時点では)わからず、当初の予定では気仙沼から三陸町へ南下することにしていたので時間的にも厳しそうです。

小さめの避難所などを探して行ってみたいと訊いてみたところ、松岩地区の総合体育館のまわりには、小さなところがいくつか集まっているという話を聞いて、そこへ行ってみることにして観光案内所を後にしました。

気仙沼駅前を出て少し走ると市街地へ。車の通りはそこそこあって、ゆっくりしか流れません。
道が通じていれば町と町の間は比較的早く移動できるのでしょうが、市街地は時間がかかります。
途中、吉野家の前に吉野家の炊き出し専用車が停まっているのを見かけました。店舗は津波被害で使えないのでしょうが、炊き出し用の車両が来ているというのはホッとします。

ほどなくして、松岩地区の小さな避難所へ行きましたが、そこでは既に食料などは物資は十分にあるようで、A出版経由でいただいたタオル類を一部置かせていただいただけに留まりました。
南下しながら避難所を探そうということで、早めにそこを後にします。

45号線に戻り少し南下したところで、松岩駅の近くのようですが(津波で流されているので鉄道とか駅はどこにあるか不明)海の方へ降りられる道があったので少し降りて様子を見てみます。
DSC02938.jpg
下から見上げてみたところ。後で地図で確認したところ、海から800m程度離れた場所のようです。

今回私は自分ではほとんど写真を撮っていません。
同行したプロの写真家が被災地の撮影をしている合間に、車内で次に行く場所の情報をなんとか調べようとしたり、いろいろやっていました。

この後、また45号線沿いに南下するのですが、土地勘が無いのと、津波被害で海に近い地域はほぼ全滅しているような感じで、気仙沼では避難所を回ることは出来ませんでした。

(続く)








東北・南関東へ救援物資を輸送してきました(1.往路〜気仙沼) [災害派遣]

4.13(水)

東北・南関東へ救援物資を個人で輸送してきました。
このブログは本来ブルベのためのブログですが、いくつか続けて書くことになります。
ご興味のある方のみお読み下さい。よろしくお願いします。

(概要編)
個人の判断でタイミングを見て行って来たものです。
ボランティア団体や行政とは全く関係無く独自の活動となります。

4/5(火)午後
リアル友人の写真家が被災地へ行きたいという話をtwitterで聞き、それなら一緒に行きましょうか?
と、自分が救援物資を運ぶことを決める。

4/6(水)
別のtwitterでの知り合いの方が前週に石巻へボランティアで行くためにガソリン携行缶を探していて、たまたま私のリアル友人から借りる算段で4缶(70L分)を、その方へ直接貸していた分を返却してもらう。

4/7(木)
午前中に、青葉代表が直接自宅まで来られて、救援物資調達用の資金を提供してくれた。
午後に、青葉副代表から、お子さん名義で、絵本貯金をとりくずして資金の提供をしてくれた。
コストコへ救援物資を調達しに行く。

4/8(金)
世田谷区防災対策課へ行くと、災害派遣等従事車両証明書を発行してもらえることを、すでに女川などへ直接物資を運んだことのあるリアル友人からtwitter経由で教えてもらう。
午前中に、世田谷区防災対策課へ行き、証明書の交付を受ける。これで東北道など高速道路が無料通行可能となったため、手持ち資金に若干余裕ができる。
100円ショップやオーケーストアを周り、追加の資材を調達する。
この時点で荷物が満載、シュラフなどは置いていくしかないので、どこか福島あたりで仮眠できる場所を探してもらうことに。
郡山まで戻れば空きがあることが判明したので郡山に宿を確保してもらう。
午後に、青葉スタッフが忙しい合間をぬって、救援金と救援物資を持ってきてくれた。
また、青葉副代表が再度、救援物資をもってきてくれた。
夜10時少し前に自宅をスタート、友人を拾ってから用賀のA出版へ向かう。
A出版でフェイスタオル、バスタオルなどの救援物資をいただき、別の友人を拾いに環八を北上する。
別の友人を拾ってからGSを探しつつ北上する。
谷原交差点手前の宇佐見で給油、ガソリン携行缶にも給油。
自力で行って、自力で帰って来ることが基本。
まだガソリン事情が悪いところも走る可能性があるので、万全の体制で行くが、ツーリングワゴンなのでカーゴルームとの仕切りがなくガソリン揮発の臭気にやられつつ走行することが必要になる。
カーゴルームのファンを回しながら、必要に応じて外気取り入れを行う。

東京外環道路・大泉インター(料金所)を通過したのは、もう日付が変わるころ。
料金所で、係員の言うことがよく分からず、紙を貰う。
災害対策課で発行してもらった証明書は、入るインターでは見せるだけで、降りるインターで回収ということだったが、東京外環道路の料金所(均一前払い)では、ここで証明書が必要という。
よくわからないので、とりあえず後日証明書を送って下さいと書かれた紙をもらって通過。
浦和から東北道へ乗り、ひたすら北を目指す。
元々この行程で行こうとしたのは休みの都合もあるが、高速の休日割引きで経費を抑えようというのも狙い。
すべてを個人のお財布でまかなうには、結構荷が重い金額になるからそう考えたわけだ。
しかし、証明書があれば料金は無料になるので、実は平日の往復でも物資や人の輸送は可能。

荷物が満載で、しかもガソリン携行缶で70L分を余分に積み込んでいるので慎重に走行する。
80km/h程度で巡航。
そのうち福島県あたりだと、地震による影響で道路の凸凹があり実際に80km/h規制にもなってくる。
場所によるが、やはりかなり波打っていたり、補修のあとや段差が随所にあって気が抜けない。
途中、SA、PAで休憩しようとするが、被災地へ向かうと思われる車両が多く、大型車の駐車エリアは満杯、小型車も同様にあふれていて、PAで停められずに泣く泣く次のPAへまた出て行くようなこともあった。
被災地へボランティアで行く集団がバスで移動していると思われる光景にも遭遇。
ただし、ちょっとばかりSAでのマナーは悪く、大丈夫かな?と心配になる。
現地はタフだよ。頑張って行ってきて欲しい。

木曜の晩にあまり寝ておらず、金曜日の夜は1時間半の仮眠だけして出発。
かなり厳しい状況で眠さと戦いながら運転する。
どうもブルベっぽいノリに苦笑せざるをえないが、ガムをかみ続け耳や首筋をマッサージしながら、なんとか先へ進む。
途中5分の仮眠を挟む。
そのうち50km/h規制になる。80km/hの時から路面はだいぶ凸凹だったので、いずれにせよ慎重な運転が必要。
元々東北道は照明が少ないので、常時ハイビームが鉄則。早めに路面のギャップを見つけて若干減速してかわしていくことが求められる。

最初の目的地は気仙沼なので、東北道・一関インターまで走ることになる。
その直前で給油しておいた方が無難なので、長者原SAで一旦ストップしてGS給油の列にならぶ。
が、ここは4レーンx2ポンプの8台給油設備があるもの、実質給油作業をしている係員はひとり。
やたらと時間がかかる。
もしかしたら、ひとつ前の鶴巣PAがセルフGS形式だったので、そちらの方が良かったかもしれない。
ついでに長者原SAで朝食を取りトイレを済ませて、しばらく補給もトイレも行けないことを覚悟する。
10分だけ運転席で仮眠してから再スタート。

4/7(木)夜遅くに大きな余震と思われる地震で東北各地は停電した影響がまだ残っていて、一関インターを降りて一般道へ入ると、停電しているところが多かった。
一部開いているGSもあったが、まだ開いていないところも多い。コンビニなどはほぼ全滅。
この状況は、だいぶ前に戻ってしまったような感じらしい。

気仙沼を目指す道は、途中からガラガラ。
たまにすれ違うのは自衛隊の災害派遣車両が多い。たまに民間の派遣車両も見かける。

あともう少しで気仙沼市街というところで、左に駐車場とトイレがあるところを見つけて一旦停止。
トイレが使えそうなので、ここで再度トイレを済ませておく。
途中、いたるところで立ちションおじさんを見かけるが、トイレがあるところではなるべく避けたい。

そして、気仙沼へ到着。
まずは港の方の状況を確認しに回ってみる。
気仙沼は被害の大きかったところ。地震の後に津波も火事もやってきた。
鹿折歩道橋あたりを回ってから駅の方へぐるっとまわって移動する。
DSC02930.jpg

駅前へ入る交差点に「市内案内」と手書きでかかれた看板があったので、駅へまわり観光案内所らしき建物を覗いてみる。
壁には気仙沼市内の災害関係の情報がところせましと貼られていた。
そこのおばさんと話をして、避難所などの情報を多少なりとも教えてもらう。
小さな避難所などを回りたいということで、老人ホームなどを回ってみようと思う。

(続く)









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