2012.9.12(水)

昨日2012.9.11にAJサイトに案内が掲載されていました。
2012.9.11 ランドヌール5000の申請を受け付けます(AJサイトへのリンク)

ランドヌール5000の申請は毎年秋に行われているようです。
昨日から今年の申請が始まったということです。
(昨年は、国内で受賞対象者がいないはずということで受付はありませんでした)

Twitterのプロフ欄に「ランドヌール5000かも。」と書いているのは、昨年のPBPで受賞資格は満たしたはずですが、PBP自体の認定が年明けになるまで来ないので、実際には今年の申請で受賞できる予定のため、何となくぼけた感じの言い回しにしてありました。

ランドヌール5000というのは、AJサイトの 表彰/Randonneur 5000【ランドヌール5000】 を参照すると分かると思います。
4年以内に受賞資格で必要となるイベントをクリアすれば良いわけですが、この中で一番キーになるのが4年に1度開催されるPBP; Paris-Brest-Paris Randonneur になります。
このPBPを完走して認定すれば、それを挟んで前後の4年で区切って、その他に200km、300km、400km、600km、そして1000kmの認定が必要になります。
Flecheについては、かつては本当のFlecheが対象だったのかもしれませんが、他の国で開催されるNational Fleche(ローカルなFleche)でも代替が利くようになっています。
そして、累積での認定走行距離が5000kmということも必要になります。(これはその他のイベントで距離を加算すればよい)

国内では1000kmは毎年開催されている訳ではありませんし、Flecheも今は毎年開催になっていますが、年1度しかチャンスはありません。

海外遠征が絡むので、国内で数多くのBRMを走破している屈強なランドヌールでもPBPへの参加がないため、ランドヌール5000とは縁が無い方もいらっしゃいます。
PBPを完走したら、1000kmとFlecheを完走すれば大概の人はランドヌール5000に到達できるでしょう。

AJサイトには、申請用のエクセルフォームが掲載されているので、まずはそれをダウンロードします。
申請に必要なのは、受賞に必要なイベントの認定情報で、開催日、主催クラブ名(英字での正式名称)、認定番号をそれぞれ記入していきます。

ブルベカードは、過去にそこそこ走っているので、レターケース3段ぐらいに無造作に蓄積されています。
まじめに認定番号とか整理したことがなかったので、ひととおり取り出してチェックしていきます。
(整理が悪いとダメですね)

申請自体はどのブルベでの認定番号を使ってもよいはずですが、なんとなく選んでしまいます。
私の場合は最後のイベントがPBPになるので、21/08/2011 (フランス式の日付はブルベカードの表紙でもお馴染みのようにDD/MM/YYYY)ということになります。

初めてブルベを走ったのは2008年の秋なので、その時の記録も使いましょう。
200kmは、2008年のBRM914千葉200
どうでもいいことですが、初めての200は9時間10分だったようです。たぶんこれがいまだに最速(苦笑)
今も一緒に走ってもらってるボンゴさんや、十和田のコース監修をしているFさん、また今はブルベから遠ざかってしまっているけど、当時はよく走っていた人達と一緒に参加させてもらって心強かった思い出のブルベです。
千葉のゴールはカレー!という刷り込みもここで自分の中には行われています。
そして、秋に初心者がチャレンジしやすい200kmコースの開催にこだわるのも、これが原点になっています。

300kmは、翌年にAJ会員登録してフルシーズン参戦した年の最初の300km
BRM320埼玉300・アタック日光東照宮
どうでもいいことですが、初めての300は15時間丁度だったようです。たぶんこれがいまだに最速(苦笑)
アタック日光東照宮は、往路の100km、同じく復路の100kmがほぼ平坦の高速コース。
この年は、キツイ峠が迂回?となってさらに難易度が下がっていたと思います。
ほぼ全行程をソロで走り、最後の最後だけ15時間切りを考えて急ぐ集団に追い抜かれましたが・・・
「時間にこだわって急ぐあまり事故でも起こしたら意味が無い」と、信号を守り、品行方正に走って、それなりに頑張っては見たわけですが、ゴール時間は丁度15時間ぴったり。
タイムに拘らなくていいんですよ、といつも言っているのは、たぶんこれが原点になっています。

400kmは、BRM509神奈川400沼津〜軽井沢
これはちょっと思い出深いブルベだったりします。
GW前に沼津400(通常のコース)にエントリーしていたのですが、荒天(激しい雨)予報で実力的に無理と判断して泣く泣くDNSした後に、沼津〜軽井沢400は山岳になるけど、ハイライトとなる信州峠や馬越峠をクリアできたら完走することができるかもしれないと、すぐに下見に行って実際にその区間を走ってデータ取りをしたり。
結局、初めての400は沼津〜軽井沢へチャレンジして、なんとか完走することができました。
自分の走力を冷静に分析して、必要ならデータ取りに実走(現地でなくても可)したりという、準備を万全にしてブルベに出走する、というスタイルはここで完全に確率されたのだと思います。

600kmは、BRM530神奈川600沼津(クラシック)
2009年はこの沼クラまでに200km、300km、400kmをそれぞれ2本ずつ完走してクリアいました。
この600を完走すれば、初めてのSR。
結構ドキドキものだったことを覚えています。
いまでこそ周りはSRだらけになってますが、当時は自分よりも少し先輩の人達が前年にSR獲ってたりするぐらい。まだまだ希少な感じがしていました。
そのSRに王手をかけての初めての600km、何かの拍子にログや写真を見ると今でも当時の事が鮮明に蘇ってきます。
GPSのトラブル、尾灯が半水没で点滅モードになってしまってスペアの尾灯を使ったこと。
この時はドイターのRACE-Xを背負ってましたが、それなりに装備を持って走るたいへんさ、でも抜いてしまうと対応が難しいトラブルもあるということを学んだのだと思います。
どこでも仮眠できるというのは、この時からの得意技かもしれません。

この年は、このあともう1本千葉600を走ってWSR相当まで走ったのですが、たぶんそこで燃え尽きました。
というか、600kmはなんとか走れても、さらにその先1000kmなんて自分とは縁遠い話。
アタック秋田(1000km)がありましたが参加せず。
身の程を知りながら、ゆっくりステップアップしていけばいいと自分に言い聞かせていたような気がします。

そして、このあとで「PBPに行かない?」という話が出てきて、じゃあPBPを目指してみようか?と考え始めるようになります。
翌年の2010年は、PBPの前年でエントリー優先権をかけてみなさんけっこうたくさん走る予定らしい。その合間を縫って4月のフレッシュが開催される訳ですが、フレッシュは3人〜5人(正しくは3台〜5台ですが日本ではタンデムは無理なので)で1チームとなります。
まだブルベを始めたばかりで、チームでの走行経験は無し。誰かとチームを作ってというのも難しいよね、という時に、「1人枠があまってるかもしれないから聞いてみるよ」と声をかけてもらい、なんとか静岡フレッシュにエントリーすることができました。

初めてのフレッシュは2010年AJ静岡主催のFleche424です。
水戸黄門チーム(第1期)での参加で、5人チーム。
チャーリーさん、ボンゴさん、チコリンさん、(以上は現・VCR青葉スタッフ)
そして、もうひとりはK脇さん(現・AJ千葉スタッフ)
今考えると、豪華メンバー?というか、好き者ばかりの集まりなのでしょう。
水戸スタートの平坦基調の400km弱コースでしたが、5人一緒というのは想像以上にたいへんということを、強烈に思い知ることになりました。
昼間の200kmとかだと、あまり関係なく終了してしまうのでしょうが、夜になると補給や眠くなるタイミングがそれぞれ違うのです。夜間走行ではまとまって休める時間も少なく、時間に追われながらなんとか先へ進む感じ。
そして、常にその時間で一番弱い人のペースにあわせて進みが遅くなっていく。
沼津のマクドナルドで死にそうになりながら朝を迎え、22時間チェックが終わって、さぁ、あとはゴールまで快走だ!とリスタートしようとした瞬間、K脇さんのタイヤがスローパンク?
ゆっくり慌てずチューブ交換しましょう、といいつつ、換えても換えてもパンクが続き、もう諦めて「切り離して先に行ってください」という話がでるぐらいまで時間が押してしまいました。
最後に、K脇さんが「タイヤの予備を持っている」とのことで最終手段でタイヤも新品に交換してようやくパンクから立ち直り、あとはなんとか25km以上走って、チェックポイントとしてレシートがゲットできそうなコンビニを探しつつ本来のゴールの方へ向かうというような感じだったわけです。
※最後の2時間で25km以上走行しないといけない(フレッシュ規定)
グループ走行の難しさを、このフレッシュで学ぶことができ、その後のロング(仮眠が必要な400以上)では、どう仲間と走るかということを考える基礎になりました。

この後、実は北海道1200を走っているのですが、ランドヌール5000には関係のないイベントとなります。
ただ、この初めての1200kmは、フレッシュで学んだことがだいぶ生きたと思っています。

そして、この年はたぶんだいぶブルベにはまりまくっていたのでしょう。
勢いで1000kmも走ることにしてしまいました。

1000kmは、同じく2010年のBRM917近畿1000四国一周
非常に暑いブルベでした。
PCではロックアイスを袋で買い求め、日陰に入って日中でも仮眠というか爆睡の繰り返し。
慣れない四国の往来の激しい道路に疲れ、夜間よくわからないところを走り、シークレット(クイズポイント)の場所を探すのに手こずったり、ちょっと気を抜いていたらミスコースしてみたり。
仮眠するためのホテルを予約して、なんとかそこへ辿り着けるように時間配分を考えたはずですが、予定よりだいぶ遅れて、それでも一応、シャワーを浴びて少しベッドで寝て、新しいジャージに着替えて走行再開できたのは、北海道1200の経験も踏まえた走行計画にそった走りの実践として学びの場となりました。
グルメポイントの予習が不足していて、うどんがあんまり食べられなかったのが心残りですがw

そして最後に、ランドヌール5000をかけて、というか単体でPBPチャレンジとして走ったのが、
2011年のPBP; Paris-Brest-Paris Randonneur です。
初めての海外遠征、そしてACP公認BRMの総本山ACP主催の1200km。
北海道1200を完走しているという事実が、どんな状況であれ、きっと自分は完走できる!
根拠が無いようで、いちおうなんとなく根拠がある感じの自信をもってスタートすることができました。
このブログでもレポートは書きかけで止まっています。

とっても楽しかったのですが、途中、本当にキツイところが何度かあって、その中でもマイクロスリープによる居眠り落車で道路右側の側溝に落ちた時は、自分では死んだかと思いました。
いろんなことを考えた1200kmでした。
最後に吹っ切れたのは、仲間と別々になってソロで走っている際に、他の国の人達と一緒になって走る機会が増え、その中でもUSのカリフォルニアだったか、大きなクラブチームのリーダークラスの人と一緒に走った1区間は、つたない英語でたわいもない世間話が殆どでしたが、とても素敵な時間でした。
他の国のほとんどはチームで走っている。なんで日本人はみんなソロなんだい?
必ず訊かれる質問のひとつです。
長丁場になるとチーム走行はとても難しいと思うのですが、彼らはそれを普通にやってのけています。
おそらくそれは常に同じメンバーでチームを固定しているのでなく、その都度、その都度で、小さな集団を形成してPCからPCの間を最短時間で結んでいく。
BRMはチーム走行ではないのですが、みんなで力を合わせてゴールすればいいじゃないか。
そういう気概に溢れている人達の仲間意識にはすごいものがあります。
経験があり走力もあるリーダークラスの人が全体のマネジメントを考え、フローターのように前後すいすいと行ったり来たりとしながら全体の状況を調べに行く役回りの人がいたり、途中でパンク停車しているメンバがいれば、サポートで誰かをそこに落としていったり。
そんなことを淡々とこなしながら、ソロでよれよれになって走っている私に声をかけてくれて、一緒に走ろうと引っ張ってもらったわけです。
もうそれなりのスピードで走れるだけの体力は残っていないと思ったのに、次第にペースアップして、そのうち気づいたら、そのリーダークラスの人と二人で20〜30人ぐらいの小集団を先頭になって牽いていました。
私の中では、本当にいい経験になりました。
そして、次回できれば、日本チームは日本チームで、いくつかのグループ走行ができたらいいな。
そんなことを漠然と考えるようになりました。

つい5年ほど前は、「200km?すごいなぁ」と思っていたし、ブルベなんて頭のおかしい人達が走るものに違いないと思っていたわけですが、はじめてみたら、200km、300km、400km、600kmというSR達成に向けての距離別の用意され加減が絶妙なこと。そして、体力がないところは経験や頭でカバーができるということ。
そんなことを学びつつ、気がついたらランドヌール5000に辿り着いていました。

これまでの経験を自分なりに咀嚼して、自分自身もいまだに一初心者の気持ちですが、時には主催者(オーガナイザー)としてコースを主催してみたりということをやってます。

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