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記憶の彼方のロングライド:水郡線の思い出 [自転車雑記]

2013.2.27(水)

今週末、AJ宇都宮主催の記念ブルベを走る予定にしています。
BRM303宇都宮200km日立発10周年記念(愛称:「おおみかブルベは雨か雪?」ブルベ)

タイトルをコピーして来て今気づきましたが、晴れてくれることを祈る次第です。(苦笑)
宇都宮のブルベについては、今週末、10周年記念イベントもあるそうなので、
それに参加してからいろいろと知ることが多いと思うので割愛します。

日立発の200km、日立といっても日立港あたりをスタートとして西の方へ向かい、
常陸太田、常陸大宮を通って先へ先へと進むようです。

以前に少しだけ常陸大宮のあたりはブルベで走った気がしますが、
常陸太田というのも水郡線(の支線?)で何となく少しだけ記憶の彼方にあるのですが……
思い出しがてら書いてみることにします。

多分、自分の記憶の中で子供の頃の自転車といえば、これが一番古いものだと思います。

今から遡ること40年前。
当時、父親の転勤で東京から水戸へ引っ越して小学校へ入学しました。
水戸駅からだと那珂川にかかる水府橋を渡った水府町というところに住んでいました。
小学校1年から2年生の夏休みまでの短い期間でしたが、強烈な出来事が多く、
それなりに記憶に残っています。
(途中で都合のよいように上書きで記憶が書き換えられているところもあるやもしれませんが)

家の近所に住む何人かの男の子の友達と、水郡線沿いに自転車で走ることになりました。
夏に近かったか夏休みだったか、1日外へ遊びに行った時の出来事です。

今はどうか分かりませんが、当時は水郡線沿いに線路を確認しながら併走できる道があったように思います。
線路を目印にしながら、自転車を漕いでどんどん北上していく。
ガキ大将のような感じの友人を先頭に何人かでついていく。
小さな子供用自転車ですが、私はまだ補助輪がついていたかもしれません。

しばらく走ると喉が乾いてきます。
お小遣いも持っていないし、水筒も持っていない。
どうするかというと、適当なところで井戸がある農家へ行ってお願いして、
水を飲ませてもらう。

その後も走って行くと、棟上げ式をやっているところに出くわして、
お菓子や祝儀袋をまいていたり。
本当は関係ない子供達のはずなのに「いいからもらっときなさい」みたいなことを言われて、
一緒になってお菓子や祝儀袋を貰ったり。
※当時は「だっぺ」みたいな茨城弁ぽい喋りもしてましたが、今では全くわかりません。
 きっと茨城弁で言われたのでしょうが、何と言われたかまでは覚えていません。

そして、当時の自分の中では水郡線の「終点」だと思っていた常陸太田まで走ったのでした。
水戸から約20km弱の距離にあるところですが、小学校低学年の補助輪付き自転車では、
それなりに遠出した大冒険のように感じたものでした。

hitachiota.jpg

帰って来て往復で40kmには満たなかったでしょうが、それでもロングライド。
友達と一緒に、ゆるゆると走って行く。
途中で誰かに助けてもらったりしながら、それでもちゃんとゴール(家)まで帰って来る。
もしかしたらそれがランドヌール的な原体験だったかもしれません。


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