2023.08.26 PBPをこっそりTL越しに観戦終えて(雑感) [PBP]
2023.08.26(土)
たいへんご無沙汰してます。ものすごく久しぶりにこのブログを開きました。
とうことで、ちょこっとだけ更新しておきます。
2023年、今年はPBP Paris Brest Paris Randonneurs 開催年だったようです。
Twitter(X)、Instagram、Facebookなどで、現地で走っている参加者の動きを間接的に観戦、こっそり応援していました。
BRMも自転車もすっかり遠ざかってしまっていますし、現状認識がおいついていないので、PBP開催中は基本的に何も言わず、ただひたすらTL越しに観戦して、こっそり応援。それだけでした。
私がその昔、PBPに参加したのは2011年と2015年。今とスタート地点も少し違えばコースも違います。
当日の天候も違えば・・・ということで、私が経験したPBPは私の経験であって、他の人とは全く違うものです。
それは開催年だけでなく、同じ年の同じスタート時間を走っていても、途中の行程で全く違った天候の変化だったり体験をするので、参加者にとってふたつとして同じPBPは存在しないということです。
今年のPBPスタート前に、Twitterでこっそりこんなことを呟いてたりします。
https://twitter.com/pikasyacho/status/1691829299152883912
たいへんご無沙汰してます。ものすごく久しぶりにこのブログを開きました。
とうことで、ちょこっとだけ更新しておきます。
2023年、今年はPBP Paris Brest Paris Randonneurs 開催年だったようです。
Twitter(X)、Instagram、Facebookなどで、現地で走っている参加者の動きを間接的に観戦、こっそり応援していました。
BRMも自転車もすっかり遠ざかってしまっていますし、現状認識がおいついていないので、PBP開催中は基本的に何も言わず、ただひたすらTL越しに観戦して、こっそり応援。それだけでした。
私がその昔、PBPに参加したのは2011年と2015年。今とスタート地点も少し違えばコースも違います。
当日の天候も違えば・・・ということで、私が経験したPBPは私の経験であって、他の人とは全く違うものです。
それは開催年だけでなく、同じ年の同じスタート時間を走っていても、途中の行程で全く違った天候の変化だったり体験をするので、参加者にとってふたつとして同じPBPは存在しないということです。
今年のPBPスタート前に、Twitterでこっそりこんなことを呟いてたりします。
https://twitter.com/pikasyacho/status/1691829299152883912
昔、自転車に乗ってたらしい、おじさんから、こっそりお伝えしたい完走への極意。
自分の行動全てに優先順位をしっかり持つこと。それだけです。
現地入りする前から、何を優先するのか。そこに全力で振り切って、後悔のないチャレンジを。人を頼れ。
欲しい結果が手に入りますように。
Good luck.
私のことを知っている人でも、この意味がわかる人もいれば、わからない人もいるでしょう。
知らなければ、どう解釈するか???という方がいても不思議ではありません。
少ないながらも、自分の経験から言えることの、ある意味集大成です。
・後悔のないチャレンジを。
・人を頼れ。
私のことを知っている人でも、この意味がわかる人もいれば、わからない人もいるでしょう。
知らなければ、どう解釈するか???という方がいても不思議ではありません。
少ないながらも、自分の経験から言えることの、ある意味集大成です。
・後悔のないチャレンジを。
・人を頼れ。
・欲しい結果が手に入りますように。
目標にしていることは、各参加者ごとに全く別のものがあると思います。
目標にしていることは、各参加者ごとに全く別のものがあると思います。
欲しい結果を手に入れるために、何をすべきか。
スタートラインに立ったら、できることは限られます。
それまでの準備で、各自のフィジカル、メンタルでの準備状況は異なります。
本来のポテンシャルをどこまで引き出せるか。限界まで引き出しきってチャレンジしてみて、
結果は後からついてくるというのが正直なところでしょう。
それまでの準備で、各自のフィジカル、メンタルでの準備状況は異なります。
本来のポテンシャルをどこまで引き出せるか。限界まで引き出しきってチャレンジしてみて、
結果は後からついてくるというのが正直なところでしょう。
運にも左右されます。走っていた位置が少し違っただけで、天候も変われば、誰と出会うかも変わります。
そして、欲しい結果を手に入れるためには、どうすべきか。
人を頼れ。
そして、欲しい結果を手に入れるためには、どうすべきか。
人を頼れ。
それに尽きます。
今はだいぶ違うかもしれませんが、かつて国内BRMでは、ブルベは単独走行みたいな風潮が強く、他の参加者と協調することや一緒に走ることを毛嫌いする人達がかなり幅を利かせていたことがあります。
(そういうことを吹聴している人達がPBPではトレインを組んでた不思議もありますが、それはまた別の話)
全ての行程を単独走行で淡々とこなしていく。それもまた素晴らしいチャレンジです。
(そういうことを吹聴している人達がPBPではトレインを組んでた不思議もありますが、それはまた別の話)
全ての行程を単独走行で淡々とこなしていく。それもまた素晴らしいチャレンジです。
そういうのがご自身のスタイルであれば、それを貫くのもまたよし、ということだと思います。
ところが現実ではそんなわけにはいかず、ものすごく参加者の多いブルベです。
その時々で出会った、見知らぬランドヌールと一緒に走る。足があうから一緒に走る。あわなくても許容範囲なら自分の足と相談しながら一緒に走る。
ほとんどの参加者は親切です。
その時々で出会った、見知らぬランドヌールと一緒に走る。足があうから一緒に走る。あわなくても許容範囲なら自分の足と相談しながら一緒に走る。
ほとんどの参加者は親切です。
それは何故か?
パリからスタートしてブレストを目指し、ブレストで折り返してまたパリに戻ってくる。
目標が同じだからです。
目標が同じだからです。
他の参加者に頼ることは必須です。
頼りっぱなしで、お返しできない。それでもよいのです。
自分がどこかで別の誰かに何か少しでもお返しできればOKです。
頼りっぱなしで、お返しできない。それでもよいのです。
自分がどこかで別の誰かに何か少しでもお返しできればOKです。
沿道での応援も、私設エイドも、ものすごく親切で助けられます。
多くの人に助けられて、その人達を頼ることで、ゴールにたどり着くことが出来るのです。
PBPの参加者は「選手」です。
BRMは競技ではない。という定義をしているので、「選手」という言葉を嫌う人がいるかもしれません。
ただ、現地フランスで、PBP開催期間中、PBPのフレームバッヂをつけた自転車に乗ったランドヌールは、
ツールドフランスを走る選手のようなリスペクトを、沿道からは受けているのです。
これは現地で実際に走らないと、わからない感覚なのでしょう。
人を頼る。
ツールドフランスを走る選手のようなリスペクトを、沿道からは受けているのです。
これは現地で実際に走らないと、わからない感覚なのでしょう。
人を頼る。
感謝の気持ちをもつことは当たり前ですが、頼ってよいのです。
応援している人は、走っている選手が最後まで走りきれるように願っています。
もちろん、途中で立ちゆかなくなり棄権(アバンダン)をせざるを得ないこともあります。
それでも、最後まで無事にパリに戻れるように応援してくれます。
フランスにはフランスの自転車文化があり、それを実際に体験できるのがPBPの素晴らしいところでしょう。
時間内に完走して、最高の結果を手に入れた人、おめでとうございます。
もちろん、途中で立ちゆかなくなり棄権(アバンダン)をせざるを得ないこともあります。
それでも、最後まで無事にパリに戻れるように応援してくれます。
フランスにはフランスの自転車文化があり、それを実際に体験できるのがPBPの素晴らしいところでしょう。
時間内に完走して、最高の結果を手に入れた人、おめでとうございます。
最高の栄誉でしょう。
制限時間には間に合わなかったけど、最後まで走り切った時間外完走された人、おめでとうございます。
制限時間には間に合わなかったけど、最後まで走り切った時間外完走された人、おめでとうございます。
ランドヌーリングの神髄、最後まで走り切ることを選択した勇気と実行力はすばらしい栄誉でしょう。
途中でアバンダンとなった人。欲しい結果とは違ったものかもしれませんが、スタートラインに立っただけでもすばらしいことです。そして、その経験はきっと素敵な思い出にいつか昇華する時が来るでしょう。
PBP参加者のみなさま、素晴らしい時間を過ごされたと思います。
ネットのTL越しに、久しぶりに観戦させていただいて、私自身もかつて走ったことがあったことを思い出しました。どうもありがとうございます。
個人的には、ものすごく嬉しいこともあったりしますが、個別に書くことは控えます。
今はBRMも走っていないので、知らないおっさんに言われるのも・・・・ということも配慮して自粛です。
PBP参加者のみなさま、素晴らしい時間を過ごされたと思います。
ネットのTL越しに、久しぶりに観戦させていただいて、私自身もかつて走ったことがあったことを思い出しました。どうもありがとうございます。
個人的には、ものすごく嬉しいこともあったりしますが、個別に書くことは控えます。
今はBRMも走っていないので、知らないおっさんに言われるのも・・・・ということも配慮して自粛です。
こっそり雑感、として記録しておきたいと思います。
2019 PBP TL越しの観戦を終えて [PBP]
2019.8.23(金)
19th PARIS-BREST-PARIS Randonneur
19th PARIS-BREST-PARIS Randonneur
日本時間で昨日の夜、90時間組のゴールを迎えて終了したようです。
前回2015年は参加者として走っていましたが、今回は全く関係無くただのにぎやかしとしてTwitterのTL越しに参加者の呟きやコントロール通過時間などをたまに確認しながら、最初から最後までずーっとウォッチしまくりでした。
(その間全く仕事になってなかったりしますが……)
6000人ぐらいの参加者がいて、そのうち400人近くが日本からのエントリーとか。
そこまで日本勢が増えるとは、と驚きを隠せないところですが、それだけ裾野も広がってきたということでしょう。
知り合いでも誰が出ているか出てないか実は把握しきれておらず、とにかく皆さんの無事のゴールを祈るだけ。
(就活などで「お祈り」が違う意味で使われていたりしますが、無事を祈るというのはごく当たり前のことです。)
PBPに出るためにはその年にSRを取得する必要があります。個人的には「春から走り始めても大丈夫」派なのですが、殆どの人がなるべく早めにSRを確定させたい!という希望があり、2019年はAJたまがわでついに禁断のお正月にSRシリーズを開催という事まで企画されていました。
海外(南半球)や台湾では、日本や殆どの国でBRMが開催されない11月、12月にも開催があり、そちらへ行けばまた話は変わりますが、日本国内での最速SR取得はこのAJたまがわ「2019年 お正月サンライズシリーズ」で1/5の600kmまで走り切れば1/6のゴールでSR確定というものでした。
参考 https://ajtamagawa.org/2019brm/sunriseseries/
たまがわスタッフでこのお正月サンライズシリーズで早々にSRを確定させて今回のPBPに臨んだ人もいました。
PBPに行きたい。PBPを完走したい。と、日々トレーニングを続けている様子などもチラ見していて、参加された方がそれぞれのブルベを走られることを陰ながら応援してきた感じです。
今年のPBPは前回までと異なり、発着地がサン=カンタン=アン=イヴリーヌから少し西へ移動してランブイエに変更されました。スタートから最初の補給ポイントであるモルターニュ=オー=ペルシュ、また最初のコントロール(PC)であるヴィレンヌ=ラ=ジュエルまでの区間がコース変更されているようです。
実際どのようなものであったかは参加者に訊いてみないとわかりませんが、前回までのコースより移動時間がかかっている人が多いようでアップダウン、気象コンディションなどで若干難易度が上がっていたようにも思えます。
またコントロールの開閉時間(オープン・クローズ)でクローズ時間の計算がどうも変更されているようで、往路のルデアックなど仮眠時間が取りにくくなっているようにも見えました。
名前は同じでもコースは違い、また長距離ブルベだと同じ日のブルベでも走っている位置によって気象条件はかなり変わっていたりもしますし何とも言えないところがありますが、前回よりは難易度が高かったというのが容易に想像できる結果となっています。
とはいえ、そんな中でも完走される人は完走していますし、制限時間を超えても最後まで走り切る人もいて、
「ランドヌール精神」とは、みたいなものを少し思い出しました。
走行中のスナップなど、TwitterやFacebookで眺めていると、前回、前々回と自分が走った時のことを思い出して、なんとも言えない感情に苦しめられた4日間でもありました。単に覗いているだけなのに。
自分の記録は多少残していますが、事細かいことはメモにはしておらず、普段は忘れ去ったつもりでいるのですが、同じような時間の流れでTL越しに見ていると、その区間の風景からどこが辛かったとか気持ちのアップダウンまで連動してしまって、封印していた辛い記憶がどんどんパンドラの箱をあけたように蘇ってきてしまいました。
自分はたまたまラッキーなことに2011年も2015年も完走できましたが、2015年を走り終えた時、もう二度と出ることはないのだろうと思っていました。
ある程度の走力があればチャレンジは可能だと思いますが、コンディション次第でそれなりに難しくもなるのがPBPというかブルベなのでしょう。
4年後にまたPBPは開催されます。
ブルベはPBPを堺に4年周期でいろいろと大きく動きます。
今回日本からたくさんの方が参加されていて、その方達がどういう経験をしてどんな影響を受けたか。
今後4年間の国内ブルベにもかなり大きな影響があると思っています。
オーガナイザー(主催者)、参加者それぞれが個人としてリスペクトされている世界。
国内でもそのようなブルベとなることを祈っています。
前回2015年は参加者として走っていましたが、今回は全く関係無くただのにぎやかしとしてTwitterのTL越しに参加者の呟きやコントロール通過時間などをたまに確認しながら、最初から最後までずーっとウォッチしまくりでした。
(その間全く仕事になってなかったりしますが……)
6000人ぐらいの参加者がいて、そのうち400人近くが日本からのエントリーとか。
そこまで日本勢が増えるとは、と驚きを隠せないところですが、それだけ裾野も広がってきたということでしょう。
知り合いでも誰が出ているか出てないか実は把握しきれておらず、とにかく皆さんの無事のゴールを祈るだけ。
(就活などで「お祈り」が違う意味で使われていたりしますが、無事を祈るというのはごく当たり前のことです。)
PBPに出るためにはその年にSRを取得する必要があります。個人的には「春から走り始めても大丈夫」派なのですが、殆どの人がなるべく早めにSRを確定させたい!という希望があり、2019年はAJたまがわでついに禁断のお正月にSRシリーズを開催という事まで企画されていました。
海外(南半球)や台湾では、日本や殆どの国でBRMが開催されない11月、12月にも開催があり、そちらへ行けばまた話は変わりますが、日本国内での最速SR取得はこのAJたまがわ「2019年 お正月サンライズシリーズ」で1/5の600kmまで走り切れば1/6のゴールでSR確定というものでした。
参考 https://ajtamagawa.org/2019brm/sunriseseries/
たまがわスタッフでこのお正月サンライズシリーズで早々にSRを確定させて今回のPBPに臨んだ人もいました。
PBPに行きたい。PBPを完走したい。と、日々トレーニングを続けている様子などもチラ見していて、参加された方がそれぞれのブルベを走られることを陰ながら応援してきた感じです。
今年のPBPは前回までと異なり、発着地がサン=カンタン=アン=イヴリーヌから少し西へ移動してランブイエに変更されました。スタートから最初の補給ポイントであるモルターニュ=オー=ペルシュ、また最初のコントロール(PC)であるヴィレンヌ=ラ=ジュエルまでの区間がコース変更されているようです。
実際どのようなものであったかは参加者に訊いてみないとわかりませんが、前回までのコースより移動時間がかかっている人が多いようでアップダウン、気象コンディションなどで若干難易度が上がっていたようにも思えます。
またコントロールの開閉時間(オープン・クローズ)でクローズ時間の計算がどうも変更されているようで、往路のルデアックなど仮眠時間が取りにくくなっているようにも見えました。
名前は同じでもコースは違い、また長距離ブルベだと同じ日のブルベでも走っている位置によって気象条件はかなり変わっていたりもしますし何とも言えないところがありますが、前回よりは難易度が高かったというのが容易に想像できる結果となっています。
とはいえ、そんな中でも完走される人は完走していますし、制限時間を超えても最後まで走り切る人もいて、
「ランドヌール精神」とは、みたいなものを少し思い出しました。
時間内に完走して確実に認定を取られたかた、おめでとうございます。
時間内には間に合わなかったけれど最後まで完走された方、ランドヌールとして素晴らしいです。
途中賢明な判断で棄権された方、その判断に間違いはないと思います。安全に帰還することが第一です。
走行中のスナップなど、TwitterやFacebookで眺めていると、前回、前々回と自分が走った時のことを思い出して、なんとも言えない感情に苦しめられた4日間でもありました。単に覗いているだけなのに。
自分の記録は多少残していますが、事細かいことはメモにはしておらず、普段は忘れ去ったつもりでいるのですが、同じような時間の流れでTL越しに見ていると、その区間の風景からどこが辛かったとか気持ちのアップダウンまで連動してしまって、封印していた辛い記憶がどんどんパンドラの箱をあけたように蘇ってきてしまいました。
自分はたまたまラッキーなことに2011年も2015年も完走できましたが、2015年を走り終えた時、もう二度と出ることはないのだろうと思っていました。
ある程度の走力があればチャレンジは可能だと思いますが、コンディション次第でそれなりに難しくもなるのがPBPというかブルベなのでしょう。
4年後にまたPBPは開催されます。
ブルベはPBPを堺に4年周期でいろいろと大きく動きます。
今回日本からたくさんの方が参加されていて、その方達がどういう経験をしてどんな影響を受けたか。
今後4年間の国内ブルベにもかなり大きな影響があると思っています。
オーガナイザー(主催者)、参加者それぞれが個人としてリスペクトされている世界。
国内でもそのようなブルベとなることを祈っています。
2015 PBP メダル到着:過去の栄光 [PBP]
2016.2.28(日)
先週、ようやく届きました。
2015年のPBP完走した記念メダル。
もう自分に取っては懐かしい想い出というか、過去の栄光。
今はすっかり自転車から遠ざかってしまって、別人としか思えなかったり。
通過タイム(備忘メモ:公式記録)
homologation 88:30
16/8 19:46 ↓ Saint-Quentin-en-Yvelines 20/8 12:17
Dreux 20/8 07:23
Mortagne-au-Perche 19/8 23:38
17/8 06:21 Villaines-la-Juhel 19/8 18:24
17/8 11:34 Fougeres 19/8 12:20
17/8 14:54 Tinteniac 19/8 08:51
17/8 20:27 Loudeac 18/8 23:28
18/8 07:08 Chrhaix-Plouguer 18/8 18:21
18/8 12:34 Brest ↑ 18/8 12:34
PBPはキツかったです。
その前月に走った北海道でのPBP1000(AJたまがわ主催)の試走もかなりキツかったけど、
そこで何とか走れた経験と2011年のPBPでの経験をあわせて走行計画をシミュレーションしてはいました。
走り出す前は「表敬訪問」で「参加することに意義がある」とか周囲には言ってましたけど、
スタート前の待機時間でひとりでこれまでを振り返っていたら、
多分、そんなに簡単にはもう来ることができないし、これが最後かもしれない。
限られた走力(ほんとに走れてなかった)を最大限に有効活用していけば、完走できる可能性はまだある。
他の楽しいことは全て犠牲になるだろうけど、完走することだけを目標に切り替えてしまえば、
なんとか行けるはず。
そして静かに自分の中のスイッチが入り、最後までなんとか気力が途切れずに走り切ることができました。
2015年のAJたまがわで開催したBRMはPBPで完走することができるために組み立てたものです。
次回2019年(第19回)PBPに行くことがあるのか、今の時点では全くの白紙ですし、
今年はBRM自体を走ることができるかも分からない状況ですが、
たとえ途切れたとしても、またいつか自転車に乗れる日が来て走り続けることができたら、
再びフランスまで行くこともあるかもしれません。
PBPバーンアウト症候群 [PBP]
2015.10.1(木)
4年に一度のPBP、終わるとそれなりに燃え尽きちゃったり、そうでなかったり。いろいろあるようです。
自分の場合も多少そういうところはあるだろうな、と思っていますが、一般的にもやはりそれはあるのが当たり前なのでしょう。同じクラブで今回2015年のPBPに参加した人がスタッフを中心に何人かいたわけですが、PBPの前後でブルベに対する各自のスタンスが大幅に振れてしまうことを予想して来年の計画をPBP前に立てたりしています。
実際、今各自がどのくらい振れているかは把握しきれていませんけど。
自分自身についていうと、2015年のPBPはなんとか辛くも完走できてしまって、とりあえず大団円。
勝手に描いた自分自身のブルベの歴史的には、「花道」で引退って感じでもうやり尽くした、もうお終い、という気分でいたりします。
ただ、現実的には2015年秋のBRMが3本あって、その裏方作業を粛々とやり続けているので、終わった気分なのに雑用作業があってちょっとばかりしんどい思いも残っています。
2011年にPBPを走った時に思ったこと、次はこうしたいと願ったこと。
日本の列車を何本か走らせたい。個人で走るのでなくチームで走るPBP列車を日本からも出していきたい。
そのための準備はたぶん殆どできてこなかったのが現実です。自分自身にそこまでの余裕がありませんでした。
2015年のPBPは大きなところで実は実現できていないものが残りました。途中の過程でいろいろあって2015年には間に合わなかったところもありますし、自分だけの力ではどうしようもなく諦めたものもあった訳ですけど、それでも出来なかったことも含めて結果は結果です。
達成したこと、参加する前に諦めてしまったこと。
いくつかを自分の中で引きずりつつ、それが自分の現実の力だと思い知って受け入れるところで静かに終了しました。
だから正確にはバーンアウトとは違うのかもしれませんが、次の行動へのモチベーションが沸いてこない状況に対してはある種のバーンアウトに陥っていると自覚した方が分かり易いと思っています。
何を無理しているのか自分でもうまく説明ができないのですが、今年はやはりかなり無理をしてきました。
そんなわけでまだ1ヶ月ブルベシーズンは残っていますが 走る方は早々にお休みすることにしました。
ちょこっと支離滅裂ですが、今の正直な気持ちを書いておきます。
PBP2015・走行計画奇策無し [PBP]
2015.9.3(木)
もう既に辛かった記憶がだいぶ抜けてしまってますが、今回のPBPの走行計画がどの程度のものだったかを最初に書いておきましょう。
私にとって2015年は2回目の参加となるので、まずは2011年の過去の履歴を引っ張り出して来ました。
(コースはだいだい同じで大きな変更はなかったはず。各コントロールの距離とクローズ時間は若干異なります。)
あまりきちんとログを残していなかったので、正規のコントロール通過時刻をブルベカードから転記しています。
2011年は並んだ順のウェーブスタート形式で、私は90時間コースの最終組20:00スタートとして出走しました。
ドロップバッグも同じようにLOUDEAC(ルディアック)で往路、復路ともにあり。そこで仮眠を取っています。
まず前回の時間を記入したところで、どういった時間の使い方をしていたか思い出します。
当時は今と違ってまだだいぶ走れた方ですが、それでも時間が足りなく睡眠時間を確保することが困難でした。
最初の晩は仮眠無しでなんとか乗り切れたかと思いきや、朝方になって道路脇で少し仮眠を取ったりもしていました。
二晩目のLOUDEAC(ルディアック)到着時刻がなんと日付を超えて深夜0:48ということになっています。
クローズ時間を超えて若干の借金から再スタートでも1時間から1時間半ぐらいしか仮眠できなかったような気がします。
そしてBREST(ブレスト)アタックもなかなか時間がかかってしまい、到着は3日目の13:55という状態。おそらく1時間ちょっとしか貯金がない。お昼を食べてからの再スタートは貯金ほぼゼロからのものになっていたと思います。
三晩目の帰りのLOUDEAK(ルディアック)は夜になってからマイクロスリープもあり途中路上で寝たり、かなりのボロボロで、到着したのは日付が変わってだいぶたった3:36、クローズまで20分ぐらいのところで滑り込みです。
シャワーを浴びて着替えて仮眠室に行く時間はなく、ドロップバッグを置いてあった場所のベンチでほんの少しだけ横になってごく短時間の仮眠で再スタートをしていったはずです。
TINTENIAC(タンテニアック)までは我慢の走行で、そこから先はたしか仲間と別れてソロでの走行がだいぶ増えたと思います。それぞれ眠くなったところで道ばたで寝ていくとか、トイレに行くから先に行くとか、誰かと一緒に走る余裕が全く無くなっていたというのが実際です。
そこから先、FOUGERES(フジェール)までは途中でRUSA(カリフォルニアだったか)の人達と一緒に走ることができて、あちらのリーダーと少しおしゃべりしながら楽しく走り続けることが一時的にできたことを覚えています。
13:00にFOUGERESに着いた時はほんの少し貯金も出来て、「これで完走が見えてきた」と思ったのですが、快調だったのは次のVILLANES-LA-JUHEL(ヴィレンヌ・ラ・ジュエル)まで。
日が落ちるとやはり速度が落ちて眠くなり、気がついたらかなりの時間が経っているのにあまり進んでないということが出て来ます。泣きそうになりながらなんとか歯を食いしばってMORTAGNE-AU-PERCHE(モルターニュ・オー・ペルシュ)にたどり着いたのがこれまた日付を大幅に超えた3:09。
四晩目は寝る時間がさらに無いのですが、身体的にはもう限界で走れませんでした。
「ここは借金を背負ってでも1時間仮眠してから再スタートしよう」と宣言して、コントロールの食堂の隅っこで1時間ほど爆睡。そしてそこからは「遅れたらタイムアウトするから」と鬼のようなことを言って、真っ暗な道を進んで行くことになりました。2011年は全てが数字のゼッケンで誰が何時のスタートかはパッと見ではわかりません。よほど速い人は別にして、だいたい流れのなかで少しずつ前を追い抜いていくペースで走れば次のDREUX(ドリュー)は間に合うはずという感覚で、その時点の精一杯の力で漕ぎ続ける。下りも漕ぐ、という進行になりました。
そして夜が明けて少し道が平坦になり、DREUX(ドリュー)まで間に合うことが確信できてからペースを緩め、あとは淡々と走ってDREUXへ滑り込み、そこから最後のゴールのSAINT-QUENTIN-EN-YVELINES(サン・カンタン・アン・イブリーヌ)までなんとか間に合って、13:21ゴール。89時間21分(公式リザルトでは89時間20分)となったわけです。
前回と今回の足前で言うと今回は3割減ぐらいの出来でしかなく、その力を100%出せたとして、ほとんど余裕時間がありません。特に体重増加による上り区間の速度低下が顕著で稼ぐ必要のあるところで時間を稼ぐことがほぼ絶望的。
時間を捻出できる可能性があるのは、コントロールや休憩ポイントでの時間の節約しかありません。コツコツ貯金を続けるカメさん走法でなんとか乗り切れないか試算してみることになります。
実際は、こういったプレーンな表だけでなく、A4のコピー用紙に時間軸を切って、だいたいこんな感じかな?という試行錯誤もしていますが、LOUDEAC(ルディアック)、BREST(ブレスト)、帰りのLOUDEAC、MORTAGNE-AU-PERCHE(モルターニュ・オー・ペルシュ)については自分としての目標時間を入れておきます。
最初の区間でいうと、約450kmを27時間で走行(Ave.16.7km/h程度)を想定しています。
というか、それが走れなかったら最低限必要な仮眠をする時間が取れなくなるため、時間内完走は諦めるということです。実際にはAve.20km/h程度を目安に走って、休憩時間をなるべく少なくすることで考えています。
この区間距離、実は今年のBRM709PBP1000の仮想ルディアック(弟子屈)と同じです。このPBP1000試走(夕方17時スタート)での自分の弟子屈到着はスタートから約25時間後(ホテルチェックイン前の買い物などを除くと24時間半ぐらい?)となっています。そういう意味では途中仮眠や大休止を取らずに走れれば26〜27時間での走行は出来ないこともないでしょう。
LOUDEAC(ルディアック)で23時に到着できれば、そのままシャワーを浴びて仮眠を取って、クローズまで2時間は寝られるのではないか? というぐらいのかなり限定的な仮眠時間での条件ですが、そのくらいしか完走できる走り方の見込みはつけられませんでした。
帰りのLOUDEACは、なんとか23:30に戻って来られれば、クローズまで3時間程度寝られるのではないか。
最後のMORTAGNE-AU-PERCHE(モルターニュ・オー・ペルシュ)は、1:30までに戻って来られれば、クローズまで2時間程度寝られるのではないか、といったぐらいの粗い予定です。
低強度での走りでなるべく身体の疲れを溜めないようにして、短い仮眠時間で眠気を感じることなく安全に走り切る。
それができそうもないと判断した時点で、クローズ時間のことは考えずに時間内完走は潔く諦める。
そのための目安時間ぐらいでしかありません。
※補足
各行にあるAve.というのはそのコントロールまでの区間におけるクローズ時間から逆算した平均時速です。
PBPは他の1200kmと異なり、各コントロール間毎にクローズ時間が若干ずれているようです。通常のBRMの感覚だと600kmまでは15km/h計算であり600kmから1000kmまではそれよりも遅い速度で計算されますが、その計算とは異なります。クローズ時間を気にせず走ることができる人にはあまり関係ないかもしれませんが、ギリギリ隊とか仮眠で寝坊し隊という方には、このあたり気をつけておいた方がよいことになります。
PBP2015・スタート当日 8/16 [PBP]
2015.8.29(土)
スタート当日は、まず朝一番にドロップバッグを預けるところからスタートです。
前夜も爆睡してしまったので、朝起きてからドロップバッグの中身の最終チェック。
ドロップバッグは、グッディー・スポーツ・ツアーが実施するものを利用しています。
前回の2011年にも利用しましたが、グッディーというより現地でのコーディネーターの方の采配(ACPとのネゴ)が素晴らしかったようで、LOUDEAC(ルディアック)では一番良い場所にドロップバッグが配置されていて助かりました。
今回もほぼ同じような事が期待できると踏んで、往路448km、復路780km地点となるLOUDEAC(ルディアック)のドロップバッグに頼った荷物、補給の分割を行いました。
90時間コースで目一杯時間を使った走り方だと、スタート直後の夜は仮眠無し、2晩目がLOUDEAC(ルディアック)の仮眠となります。ここまでの走行が448km。1/3より少し長く走ります。
そこでLOUDEAC(ルディアック)からBREST(ブレスト)までの往復アタック用の装備入れ替えと着替えを行い、332kmを走って戻って来ることになります。3晩目の仮眠もLOUDEAC(ルディアック)となるわけです。
そしてその先の帰りの装備入れ替えと着替えを行い、残り450kmを走ることになります。
4晩目は走力的に考えて、MORTAGNE-AU-PERCHE(モルターニュ=オー=ペルシュ)での仮眠となり、LOUDEAC(ルディアック)からは309km地点ですが、着替えやシャワーは無しで仮眠のみという想定です。
そして最終日の未明から141kmを走ってパリというかSAINT-QUENTIN-EN-YVELINES(サン=カンタン=アン=イブリーヌ)へ戻って来ます。
LOUDEAC(ルディアック)から先、BREST(ブレスト)までの往復は気温が少し下がり気味なので、手持ちのウェア類の割当は、長袖ジャージ、ビブタイツ(10度対応)としました。その他スタートから着ていたのと、LOUDEAC(ルディアック)からの戻りは半袖ジャージ+アームカバー、ビブレーパン+レッグカバーを基本にしています。ドロップバッグに入れておいたのは、その他予備の半袖ジャージとビブレーパンなど。
補給としては、交換用のバッテリー類と若干の補給食です。バッテリー(eneloopなど)は冗長性を持たせて余分に持って行っています。今回用意した量はだいぶ多かったかもしれませんが、足りないよりはよいです。
また、LOUDEAC(ルディアック)ではシャワーを浴びて着替えるため、シャワーの際に使うタオル類、ソープ、シャンプー、歯磨きセット、ひげ剃り、ケア用品等々も一緒に入れておくと良いでしょう。
(今回、うっかりソープ、シャンプーを入れ忘れてました。現地で汎用の液体ソープはありますが……タオルはペーパータオルをちょっと貰えるだけなので、自分で必要なものは準備しましょう)
ドロップバッグの荷物を詰めたことを確認して、今回は8:30〜9:00の間に指定されたPULLMAN CHATEAU DE VERSAILLES(プルマンベルサイユシャトー)へ持って行きます。泊まっている宿が隣のイビスなので預けるのは簡単。
前回イメージでプルマンのロビーへ行くと、誰も居ないようで??? 外にバンが止まっていてそちらに直接積み込みという形になっていました。
ドロップバッグを預けに来ていたinainaさんと少しお話してからホテルに戻って、チェックアウトできるように荷物を少し整理しておきます。意外とこれが少し時間がかかってしまって、いろいろやっていたらお昼ぐらいになってしまいました。正規のチェックアウト時間は12時(正午)ですが、レイトチェックアウトで20€追加して16時まで延長してもらっているので、15時ぐらいまでは仮眠しようとベッドへ潜り込みます。
うとうとしたところで部屋のドアを一度ガチャッと開けられて起こされてしまい、さらにもう少ししたろころでフロントから電話でたたき起こされるということがありましたが、「レイトチェックアウトにしてもらってるはずだけど?」と切り返して、またベッドに戻ります。安ホテルだから仕方ありませんが、このあたりちょっと今ひとつの対応でした。
仮眠としては3時間弱うとうとした感じですが、全く寝なかったよりはマシでしょう。15時半ぐらいにシャワーを浴びてジャージに着替えチェックアウト準備をします。日本を出発する前から引いていた風邪は若干よくなったようで咳が止まり、多少は走れるかもしれないという希望が見えた感じでフロントへ降りていってチェックアウト手続きをしました。
スーツケースと畳んだOS-500を預かって貰おうとすると、「荷物室が一杯だからダメ」と言われてビックリ。
2日なら預かれるけど、4日は無理と出発前にご無体な仕打ち。
他のAJたまがわメンバーは荷物部屋としてPBP期間中通しで一部屋確保しているので、そちらに置かせて貰えるようにお願いしました。私以外の人は仮眠のためにこの日も宿泊扱いにしていて、17時過ぎにフロント集合。
(ランドヌール札幌から来ていたヨシダさん、タナカさんも同じ目に遭うことが分かっていたので、同様に後ほどお願い)
ホテルの荷物室を実際に見せて貰いましたが、あまりの狭さにビックリ。事前に預かって貰っても大丈夫だよね?って訊いていたはずが、これでは確かに入りそうもない。安ホテル(実際は円安もあってそんなに安くは無い)の宿命?
前回止まったもっと安いホテルでも、PBP期間中同行者全員の荷物を預かって貰えていたし盲点でした。
小さなトラブルは何かあるのが当たり前ですが、気を取り直して、スタート前の腹ごしらえとしてVelsailles市内でちょこっとつまみに行きます。ケバブ屋でケバブ食べると言ってたはずが、「ケバブは時間がかかるんじゃない?」という声があってハンバーガー食べていたり。
フライドポテトは食べ過ぎると胃にもたれるので少し残しました。
ダブルチーズバーガー食べましたが、ケバブの方がよかったと思ったり。冷静に考えると既に焼けているケバブを切り落とす方が、ハンバーガーパテを焼くよりも早い気がしたり。たいがいボケているわけです。気をつけよう。
スタート地点までは7〜8kmなので軽く移動していきますが、途中のちょっとした坂がローギアでも息があがる状態で、やはり本調子ではないことを思い知らされつつ、VELODROMEへ到着。
他のメンバーは20:00スタート(T)なので、ひとつ前の19:45スタート(S)の自分は入口でお別れ、ひとり寂しくS組の列へ向かって待機列に並んで行きます。
最初のスタンプ
S組の列へ並んで、トイレに行こうかとしたところで、日本人参加者の方から声を掛けられ、Edgeのデータが飛んでしまったので転送して貰えないか?ということで、試しにひとつデータ転送を試みます。同じ705同士ですが、データ転送はかなり時間がかかり、終わったと思ったら相手のEdgeではうまく出てきていなかったようで、ちょっとがっかり。microSDカード毎引き抜いて相手のEdgeに差して本体メモリへコピーするという方法もあったと思うのですが、スタート直前なので、そこまでは出来ませんでした。
15分刻みでスタートしていきますが、90時間コースは17:15スタートが一番早いスタートでしょうか。
19:45スタートの自分はそこから2時間30分遅れのスタートとなるので、コントロールの開閉時間もそれぞれ2時間30分遅くなります。
天気はいまひとつ、スタート前の緊張感が今ひとつ足りません。
待機している場所はそれなりに広いのでまだ緩めに並んでいます。誰かを探して一緒にスタートすることもできるはずですが、今回はほぼ一人旅を決め込むつもりでスタートまでのつかの間の時間をのんびり待ちます。
S組のスタート時間が近づいてきて少しずつ会場が盛り上がってくると、あまり無かった筈のモチベーションにほんの少しだけ火が灯りました。
行けるところまでは頑張って行こう。
まずは睡眠第一、眠る時間が無くなったら時間内完走はあきらめてさっさと寝よう。
それでもなるべく完走するつもりで、休憩少なめ、コントロールでも余分な動きは避けて行こう。
上げ下げする早い列車には乗らず、自分のペースを守って行こう。
目標はなんとか時間内完走。よし、行くぞ。
前回のPBPは初めてのPBPで、目標は同じく時間内の完走で認定を取ることでした。
2011年の前年2010年には、所謂3200km縛りがあって暗黙のうちに多くのブルベを走り、かなり走力が付いていたのですが、2010年秋からVCR青葉スタッフとなり、2011年3月11日の震災以降あまり乗れなくなってしまい夏前まではそこより2割減ぐらいの走力を維持していたもの夏場の暑さで走り込みも不足して、あまり自信のないスタートだったことを思い出します。
今回はそれよりも体重がかなり増加、走力も低下、おまけに風邪で体調不良。日本を発つ前日は連光寺の坂すらも途中で息切れして上れなかったという体たらく。PBPのスタート地点に立つのもおこがましいというのが実情です。
それでも、これが最後になるかもしれないし、悔いは残したくない。
そんな想いで、こんな状態からでもなんとか知恵と工夫で完走できないかを探る旅になりました。
PBP2015・前日車検 8/15 [PBP]
2015.8.27(木)
現地時間で8/14(金)夜にVelsailles到着、そのままAJたまがわ先発組と一緒に晩ご飯を食べに出かけてしまい、宿に戻って22時頃には強烈な睡魔に襲われてそのまま爆睡。自転車のチェックと組み立てをせずに翌日8/15(土)の朝を迎えました。
今回のPBPでは前日車検の時間も事前に割当があって(前回は無かったので好きな時間に行ったような)、自分の場合は12:45という中途半端な時間帯。VelsaillesからSaint-Quentin-En-YvelinesにあるVELODROMEまでは自転車で30分もあれば辿り付けるので12時ぐらいまでに支度をすることにして8時に目覚ましをかけておきました。まずは睡眠優先、身体を十分に休めることを優先しました。
まずは自転車を組み立てます。今回はなるべく輪行時の損傷防止を考えてハンドルだけでなくフォークも抜いてプチプチ梱包を施していたので、少しだけ時間をかけて戻していきます。OS-500輪行袋ということもあって、緩衝材として段ボールなどを適当に使って保護してきています。
特に問題無く組み上がったので、ホッと一息。
次にやることは、フランス滞在中の通信手段の確保です。
8/14(金)午後のCDG到着時は空港内の無料Wi-Fiで凌いで、17時(日本時間の8/15 0時)を過ぎたところで、海外パケホーダイ利用でつないでおきました。前回はいろいろと面倒だったので連日これの利用で通信費が2万円以上嵩みました。今回はSIMフリーの端末で来れればよかったのですが、docomo iPhone5sはロック解除できないためWi-Fiルーターを使うことにしました。
羽田でレンタルしてくるのが一番簡単だとは思いながら、ちょこっと試してみたくなるわけです。直前にAtermの新型Wi-Fiルーターをポチってしまいました。
Aterm MR04LN
NEC Aterm MR04LN 3B LTE対応 モバイルルーター 【OCN モバイル ONE マイクロSIM付】 クレードル付属
- 出版社/メーカー: NTTコミュニケーションズ
- メディア: エレクトロニクス
ちょこっとお高くつきましたが、PBPだけで使う訳ではないので本体価格には目をつぶりましょう。
フランスでのデータ通信SIM事情ですが、ググってもあまりよくわからない感じで、いくつかのサイトを参考にして必要そうなところをiPhoneにφ(..)メモメモって来てましたが、あてにしていたVelsaillesのORANGEがなんと夏休みで休業中。(ちゃんと読めば分かるのですが、フランス語標記の日付を見落としてたという)
そこがやっていれば宿から歩いてほんの数分でしたが、やってないというので困りました。
近くにある別のORANGEは、Parly2というショッピングモールにあるようです。
自転車でなら行けますが、路面店でなくモールの中にあるお店に自転車で買いに行くのはちょっと腰が引けます。
Googleマップを眺めていたらORNGEの店の位置が微妙に違った位置にプロットされていたりしましたが、ショッピングモールの隣に、Velsaillesで泊まっているホテルチェーンの別のホテルがあることに気づきました。
フロントでお願いして、そちらのホテルのフロントで買い物中に自転車を預かって貰うように連絡して貰ってから自転車で買いに行きました。
(私自身が詳しくないので正しい認識かわかりませんが)
空港や鐵道の駅の売店で売っているのは、音声付きのSIMです。データ通信のみのSIM(料金が安い)は対面販売が基本のようです。またSIMを買っても、通信容量の追加作業は指定された電話番号へ電話をかける必要がありますが、おそらくフランス語なのでたぶん自分には難易度が高そう、ということでお店に行ってなんとかしてもらうのが作戦です。
Pass Let's Go というのを調達したかったのですが、
これだと1ヶ月2GBまでを14.90€で使えるはず……
お店の人からは、容量が足りないみたいなことを言われて、
SIMのみで14.90€、1ヶ月3GB追加で25€というのを提示されたのですが、
14日1GBの10€でいいから、それを追加してくれとお願いしてSIMを売ってもらいました。
パスポートと端末提示が必要です。
トータル24.9€の支払いでした。
(もしかしたら追加は不要で最初のSIM14.9€だけで2GBが使えたかもしれませんが、それは後で調べてみます)
ORANGEのこのSIMは普通のSIMサイズで切り取るとMicro SIMやNano SIMになるタイプで便利に出来てます。
とりあえずAtermにSIMを入れて、電源を入れて……まぁ通じませんわな。
日本のWi-FiルーターにORANGEのAPN設定が自動で入っているわけがない。
これは予想してたことなので、事前にググってφ(..)メモメモしておいたものを利用して手入力します。
プロファイル名:(これは適当でOK)Orange
User: orange
Password: orange
認証方式: PAP
APN: スタティック orange.fr
IP: ダイナミック
※ちなみにデータ通信SIMでなく音声付きのSIMだとAPNは、orange です。(.frは不要)
Wi-Fiルーターのタッチパネルから打ち込むのは反応が微妙で若干時間がかかりましたがAPN設定を追加して再起動したら無事開通しました。APNだけ日本で先に設定しておけばよかったと後になって気づきましたが、まぁそんなものですよね。
私はiPhoneから使うので、Bluetooth通信での24時間長時間運用はできないのですが、それでもAterm MR04LNだと連続12時間は稼働可能という大容量バッテリ搭載。
使わない時は、iPhoneに入れた専用アプリから「休止」モードへ切り替えられるので、PBP期間中ほとんど充電は不要でした。使う時は同じくiPhoneに入れた専用アプリから「リモート起動」をかけてWi-Fiルーターを起動させてという使い方になります。このアプリとの通信はBluetoothを使います。
ぶっつけ本番で新型機種を持ち込んで、うまく使えたのでまぁよかったと思う次第です。
そうこうしているうちにお昼近くになってしまったので、車検と事前受付のためにVELODROMEまで向かいます。
前回の場所とは少し違うので、念のためeTrex30に場所を打ち込んでいて、そこを目指してVelsaillesから移動です。
途中で日本人とすれ違って「かなり並びますよ」と教えていただきました。
とりあえずお昼も食べずにVELODROMEまで。
まずは車検に並びます。なんとなくですが、みなさん時間指定とかあんまり関係ない?
とりあえず車検まではゆるやかに終了。自分の登録用紙にスタンプを押してもらって、それを後で受付へ提出します。
上の駐輪場が空いているかわからないので下の駐輪場に自転車を停めておきます。
仮眠所もすでにスタンバイ。スタート前とかゴール後の利用でしょうか?
上に上がっていくと、だいぶ盛り上がってきます。
こんな立派な施設が出来上がるとは。Saint-Quentin-En-Yvelines恐るべし。
受付はVELODROMEの中です。
まずは汎用のパンフレット、ブルベカード入れなどを貰います。
フレームバッジを留めるタイラップなども貰います。ここまではまだ楽勝。
いろいろブースがあったりして、どこに行けばいいのか一瞬迷いますが、
LELブース 事前エントリーとかもできたらしいです。
中国1200kmなのかな?
ビデオクルーがいろんな人を撮影にうろうろ。
こちらがPBPの受付です。
上にぶら下がっている国旗はおそらくその前にいるボランティアスタッフが話せる言語の表示。
日本の旗はあるわけもなく、とりあえず英国様のあるあたりに適当に行ってみます。
裏にアルファベットがついた箱があって、そこから参加者個人用のフレームバッジや計測チップの入った封筒を探し出してくるようで、自分の名前のつもりで向かったところが大ハズレ。今回はスタート時間毎にアルファベットがつけられていたので、名前(アルファベット姓)でなく、スタート時間のアルファベットが近いところへ並んだ方が、スタッフさんの動線短くて済んだようです。
とりあえず中身のチェック。フレームバッジ
今回は最初のアルファベットを見れば、どのスタート時刻かがすぐに区別がつきます。
そして国旗入り♪ 日本からの参加ということもわかるようになっています。
そして今年のSRメダル
このあとジャージを貰うのに延々とならんで解放されたのが1時間半後ぐらいだったでしょうか。
顔出し看板で写真を撮るのがお約束らしく、R札幌、ヨシダさん、タナカさんと交互に撮影しておきました。
このあと夕方、日本人で記念撮影をしようという話を聞いていましたが、延々と待っているのも辛いので、
「自分は宿に帰って明日の準備しますよ」と言うと、ヨシダさん、タナカさんが「じゃあ、帰りますか」となって記念撮影はパス。Velsaillesへ戻ることにしました。
普段撮ってないので自撮り下手w いちおうスタートゲートで。
ホテルに戻ったあとは、Monoprixへ部屋のみ食材とワインを買いだしに行って、軽く部屋飲み。
そのあと「肉が食べたい」というので、外へ晩ご飯を食べに行きました。
Velsailles Chateau Rive Gauche
遠くからヴェルサイユ宮殿を眺めて通過
フランスでなぜ、Stars and Stripes ???
ヨシダさん、タナカさんはステーキ
みんな同じのだとつまらないので、私はFajita、これも意味不明?(トルティーヤは別皿)
前日の夜はサクッと飲み終えて、また22時頃には強烈な睡魔でダウン。
どうもこのパターンでPBP期間中うまく仮眠がとれるかどうか?気になるところでお休みなさい。
最終的に天候に合わせてドロップバッグの中身を一部変更する予定が、そこまでできずに爆睡してました。
PBP2015・往路移動 [PBP]
2015.8.26(水)
(前置き)
少しずつ備忘録的に記録を残しておきます。
前回はなんだかんだと書かずに終わってしまったため、今回の準備で忘れていたこともありました。
他の人のブログを読んで、「あ、これは違うかも」というところも結構沢山ありました。
私自身が書いていることは、私がその瞬間に見たり聞いたりした範囲でしか無く、実際には異なることもあると思います。そのあたりは割り引いて読んでいただけると助かります。
今回の旅程は車検の前日入りという行きは結構忙しいスケジュールでした。
8/14(金)朝に自宅を出て、羽田からパリへというもの。
前回は数日前に現地入りして事前にスタート地点周辺を走ってみたりして身体を慣らす時間を確保していましたが、今回はPBPに行くこと自体があまり気乗りしない状態で、ギリギリになって旅程を押さえたためこうなりました。
(次回もし行くことがあれば、せめてもう1日か2日早めに現地入りしたいところです)
今回のフライトはJL045 午前便10:35羽田発。
自宅最寄りの二子玉川駅バス乗り場5番から、7:40発の羽田空港行きリムジンバスに乗り込みます。
お盆休みと絡むせいか、普段よりもバスに乗る人が多いような。
荷物のパッキングはこんな感じ。
OS-500に自転車のみを放り込んで、残りは全てスーツケースに入れています。
手荷物はドイターのリュック
羽田空港までは、ひとりで行くならリムジンバス移動が一番楽です。
自宅からバス乗り場へ荷物を持って歩いていくと汗だくになるのでタクシー使った方がよいのですが、この日は担いで行ってしまいました。で、案の定汗だく……
首都高3号線からC2経由で羽田まで、割とサクッと到着しました。
国際線ターミナル降り場は一番最後になるので少し時間がかかりますが仕方がありません。
荷物がなければ自宅から多摩サイ走って羽田へ行きたいところですが、そうもいかないので。
バス利用の良いところは、降りたところにカートがあるので荷物を運ぶ苦労がないというのがあります。
エレベーター使って上の階へ。
チェックインは自分の場合、専用カウンターを利用できるのでそこへ持って行って、荷物をバラします。
OS-500からホイールバッグを取り出して、ホイール2つをビニール袋へ入れて1個口の別荷物にしてもらいます。
ホイールを抜いたOS-500は左右が余るので、チューブで縛るなどして2/3サイズに畳んでしまいます。
合計3個口になりますが3個まで預けられる会員なので超過料金はかかりません。
(サイズ超過は、割と見逃してくれることが多いようですが念のためこういう工夫をしています)
AJたまがわ、吉田さんがTwitterで従価の料金計算で時間がかかっているというようなことを書いているのを見て、自分も従価でお願いしようとしたのですが、それなりの金額になるようで辞めました。
(国内の金額とは大幅に異なります)
出発まで少し時間があるので、ラウンジに行ってシャワーを浴びて、
軽く泡を飲んで待機
10時ぐらいからカレーが食べられたと思うので、ちょこっとつまんでおきます。
ついでにパンも
そして搭乗口へ
この飛行機、予約したのがギリギリで最後の1席だったというのもあるかもしれませんが、当日は満席。
ありがたいことにアップグレードでCクラスにしていただきました。ギリギリ日程での往路でこのアップグレードは本当に助かりました。
ご飯も割と美味しいので、ありがたや〜
舌の肥えた人にはどうかわかりませんが、地上で普通のレストランで食べるのに近いものが食べられます。
いろいろ
メイン
デザート
半個室状態でフルフラットになるので、気持ちよく爆睡し続けて身体を休めながらパリまで移動。
途中でチーズを食べたり、
到着前に和食の軽食をつまんだりしましたが、
それ以外は1本映画を見たぐらいで殆ど爆睡。
どれだけ疲れてるんだ?と自分でも思いましたが、北海道の時のフェリーで爆睡してたのと同様、移動は爆睡するに限ります。
シャルルドゴール空港は現地時間で同じ日の16:10到着予定でしたが、少し早めに到着。
入国審査もすんなり待たずにクリアして、あとは荷物待ち。
スーツケースは回転台から出てきましたが、自転車はどうやら別みたいで、出口付近にしばらくしたら置かれてました。
易損品扱いのものはどうやらそんな感じのようです。
他の人が、六角レンチの長いのを機内持ち込みできずに預けたものとかも同じところへ出て来てました。
(長さのある8mmとか6mmは機内持ち込みできないようです。正確なサイズ規定については別途要確認)
自転車を回収してカートに乗せて移動開始します。
今回も宿はヴェルサイユに取っているので、そこまで移動が必要ですが、RER B線からC線乗り継ぎで行くことは、C線工事運休区間があるため現実的ではありません。空港のインフォメーションカウンターで聞いてみましたが、やはりC線は使えないようで代替ルートをプリントアウトしてもらいました。ただメトロ利用が入ると荷物を持っての移動がかなり厳しそう(階段が多い)ということで、前回同様、空港からモンパルナス駅までエールフランスバスに乗って移動して、そこからSNCFでVelsaille Chantiers へ向かうことにします。
JAL便の到着はシャルルドゴール空港の2Eですが、バス乗り場は2Eと2Fの丁度中間にあります。
カートを適当に押していくとすぐにバス乗り場に近いところで自動券売機が見つかります。
この券売機、クレジットカードを使うにはおそらくICチップ入りのものが必須なのかもしれません。
磁気のみだと購入できないかもしれないので注意が必要です。
モンパルナス駅まで片道17.50€
帰りがどうなるかわからないので片道で買ってしまいます。たしか4人以上だと割引とかもあったはず。
同じ飛行機だった青葉の白川さん達と一緒にバスに乗り込みます。
バスは荷物の移動が平面移動で済むので楽ですが、ターミナル2からぐるぐる他を回って空港を出るまでにそれなりに時間がかかってしまい、パリ市内も夕方で軽く交通集中による渋滞があって時間は多めにかかりました。
モンパルナス駅のバス乗り場(降り場)は分かり易いところにあり、駅のすぐ横で降ろして貰えます。
4年降りのモンパルナス駅は、記憶が欠落していて何番線あたりに乗ったかが思い出せず一瞬躊躇します。
人が多いので荷物を担いでの移動はしづらいですが、案内係の人を捕まえて聞いてみたら、「こっちだ」と奥の方までつれていかれて電光掲示板を指さされて理解しました。
空港とのエールフランスバス乗り場側が1番線、奥へ行くほどホームの数字が大きくなります。
手前はTGVなど特急列車。近郊の各駅とか快速?みたいな電車は11、13、15あたりから出ているようです。
白川さん達とはぐれてしまって少し探しまわりますが、どうにも分からないので諦めて一人で券売機で切符を買って次の電車に乗り込むことにします。
この券売機もICチップ入りのクレジットカードでないと受け付けてくれないようです。券売機前には不慣れな旅行客が時間をかけて切符を買っているのか、時間がかかります。他人のことを言えた義理ではありませんが、自分も不慣れなわけで、面倒なので手持ちのコインで買ってみましたが、Gare MontparnasseからVersailles Chantiers までは3.55€
普通の改札から入場しようとして失敗。
自転車とか大きな荷物の時は専用の改札から入る必要があるのですが、忘れてました。
荷物だけ先に通ってしまい自分が通れずにロックアウト(ToT)
近くにいた駅員さん?(案内係の人)に訊いてみたのですが、チケットが改札に吸い込まれた分が戻ってこない状態。
それでも、そのまま行けと言われて、改札だけ通してもらって電車に乗り込みます。
次の電車は各停でなく途中すっ飛ばしとなるらしく、最初の停車駅がVersailles Chantiers
発車間際まで待って、あまり人が乗ってこなかったので車両の端っこにこんな形で荷物を置かせてもらいました。
15分ぐらいでVersailles Chantiers到着
荷物を担いで階段を上って、ちょこっと記念撮影。
宿があるのは、もうひとつあるVersailles Chateau Rive Gauche駅の方が近いのですが、ここからでも1km程。
歩けない距離ではないので荷物を担いで歩いていきます。
あともう少しというところで雨にふられてカフェで一休み。
ちょっと時間をロスしましたが、気を取り直して最後少し歩いて宿にチェックイン。
同じ日の早朝便で先に現地入りしていたAJたまがわメンバがフロント横にいて、晩ご飯を一緒に行くことにして荷物だけ部屋に置いてきてとりあえず移動は終了。
2015年PBP遠征から無事帰国 [PBP]
2015.8.25(火)
18e Paris Brest Paris Randonneur 90時間コースを何とか完走することができました。
ゴール後、Velsaillesに1泊、Paris市内に3泊ほどして本日夕方無事帰国しました。
たなぼた完走?という気がしなくも無いですが、スタートの瞬間にちょっとだけスイッチが入って本気になったかもしれません。天候はまぁまぁ恵まれた方ですが、前回より寒かったので寒さに弱い人は厳しかったかもしれません。
具体的にどのくらいの人が参加して結果がどうだったかあまりよく分かってないのですが、どうも周りでDNFされた方がそれなりにいるようで、少し戸惑っています。
4年に1度のお祭りなのでその人の楽しみたいように美味しく走れれば良いのだと思います。私も走力的にかなり厳しいことが予想されていたので「記念参加」とか「表敬訪問」と称して、参加するだけで完走する気はさらさら無かったというのが正直なところだったりします。
それでも、やっぱりスタートの熱気に飲まれてスイッチが入ってしまったようです。詳細は後日少しずつ書くことにしますが、自分的にはかなりいろんなものを犠牲にして睡眠時間の確保と安全な走行だけを念頭に一区間ずつ丁寧に走りました。まとまった仮眠時間を除くと休憩時間はかなり少なかったと思います。ずっと走り続けていたら、なんとか間に合った、というところでしょう。
本当の意味での十分な睡眠時間までは確保できませんでしたがカフェイン錠剤などの補助も使い、途中で眠くなることなく完走することができました。前回2011年よりはしっかりと寝ています。これも経験のなせる技でしょうか。
道中、殆ど写真を撮る余裕が無く、GPSログを見ながら足跡を確認したいところです。
今週末からPBP・そろそろ準備開始 [PBP]
2015.8.10(月)
今週末、8/16からParis Brest Paris Randonneur です。2015年は18回大会。
前回2011年に参加して、もう4年も経ってしまったことに若干の驚きを感じつつ、何も準備が整わないまま本番スタートまで1週間を切ってしまいました。
プレ・エントリーはしていましたが、本エントリーは半ばキャンセルになるまで放置プレイ。
で、実際にエントリー確定させたのは北海道遠征1000kmの帰りのフェリーの中だったりします。そんなわけで当初の予定と若干ずれたスタート時間だったり車検時間だったりでのフレーム番号発行です。飛行機も行きはギリギリ日程ですが、たしかその便の最後の1席だったりで綱渡り感が半端ない。
このブログではタイトルの下に「パリを目指してみませんか」なんて書いてますが、ブルベを始めた当初はそんなに行ってみたいとは思っていませんでした。前回の参加でギリギリなんとか完走できてしまったこともあり、PBPを走るという経験は最低限クリアしてしまい、今はそれほど強く行きたいという気持ちは無かったりします。それでもなんだかんだと迷った末に「これが最期かもしれないしね」ということで、完走よりも4年に1度のお祭りに参加するつもりで遊びにいく感じでいたりします。
(家族からはいまだに「どうせ完走できないんだし、やめれば?」と言われていますが……)
4年に1度という希少価値があるにせよ、それでもフランスまで行って走ってくるのはハードルが高いです。
お金も時間もそれなりに使います。1200kmを走るための装備をちょっとずつ追加したり、快適に過ごすために、また追加したり、と雑多な買い物も増えてしまいがちです。
これから準備しないといけないこと。
・自転車の整備(消耗品の交換・ブラケット類の新品交換など)
・走行計画
・GPS関連のデータ準備(Eマップ表示用eTrex30・サイコンとしてのEdge705)
・スーツケース選定(前回使ったものは壊れたので、手持ちの別の大型スーツケースで行くか新調するか?)
・補給食調達
・ウェア類の不足分調達
・現地通信手段(面倒だからとローミングで済ませるとそこそこ高額になる)
・PBP前泊・後泊以外の宿(後泊の後、まだ宿取ってない)
・PBP後の観光プラン
etc.
金曜日の朝には羽田に向かうので、今日を入れて4日しか残ってないのかな。
調達モノを先に済ませて何とか間に合わせないと。